砂漠はあけぼの、そしてゆふぐれ。

サハラに来ている。

 

と言う報告の前に何万年ぶりの更新やねんと言うツッコミはさておき。

 

最後の更新から一年もたっていることと、モロッコ日記と題しているのにも関わらず、東南アジアでしかもその東南アジアでの旅の途中でポッと思いつきで書いてそのままになっている自分にとても驚いた。

 

サハラの砂丘のエリア、ここメルズーガに来るのは二年ぶりだったりする。

 

夜行バスでフェズから14時間ほどで、ここメルズーガには着いた。

 

バスの中で、窓を見たら窓いっぱいに、これまで見たことないような量の星が空に散らばっていた。自分の目がもっとよかったらもっともっと星が見えるんだろうなあ。

 

朝が近づくと真っ平らな何もない地平線の上から、だんだんと景色がほんのりと明るい紫色になっていった。なんだか人間の世界と向こうの世界がぼんやりと見えた気がした。

 

おじいちゃんの世界に近づいている気がした。

 

「人間は、日沈むところよりあの世へ旅立ち、死者は、日出るところよりこの世に帰ってくる」とはなんだか聞いたことがあるフレーズだったりするが、

 

よく考えて見ると、頷ける。

 

というのも、モロッコはアラビア語で「マグリブ」と言う。マグリブとは、「日の沈む場所」という意味だ。

 

「黄昏時は、神の世界と現世界の境界、あの世とこの世をつなぐ時間」とは何某映画でも取り上げられた言葉だが、

 

サハラの夕暮れ時は、人間の世界とそうじゃない世界が入り混じるようであった。

 

キリキリガンガン照りの太陽が沈む時、空気がガラッと変わる。日が当たっていない砂はびっくりするほど冷たくなっていく。風は冷たくなっていく。砂嵐が舞い、前が見えない。風に乗って運ばれて来た砂は氷の粒のように冷たく、痛い。雷が頻繁に落ち、雨がポツポツと降る。人間が砂丘の向こう側に行くことを何かが拒んでいるようだった。昼間はいなかったサソリが、急に砂の中から出て来る。

 

サハラの風習にはこんなものがある。

「日没を見に、砂丘まで歩いて行くのはタブーで、必ずラクダを使わなくてはならない。そしてそのまま過ごす時はサソリよけの炎を起こし、犬を放たなければならない。」

 

おじいちゃんは、きっとモロッコという「日の沈む場所」から旅立ったのかもしれない。

 

ただどうしても行きたいと言っていたイスタンブールにはその前に寄り道してそうだが。

 

一ヶ月ほど前、モロッコへ発つ前に、おじいちゃんに会った。

 

私の顔を見るなりに、うなぎうなぎといい、連れていけないとわかると病室に持って来てほしいと頼んだので、親戚のおじさんと一時間以上かけておじいちゃんのお気に入りの鰻屋さんに行き、特別に持ち帰りをした。わたしは3切れしか食べれず、おじいちゃんは、8、9切れも食べていた。よう食べるもんだとびっくりした。

 

最後に、美味しいものを一緒に食べれてよかったな。

 

この前の投稿からの一年、色々なところに行った。

 

エジプト、アブダビ、カンボジア、ベトナム、ラオス、タイ、香港、トルコ、アブダビ、イラン、トルコ、台湾、モロッコ、アブダビ、フランス、イタリア、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ、トルコ、モロッコ、アルジェリア、西サハラ、そして今また戻ってモロッコ。

 

少なくともこんなような地域の美味しいチョコレートや写真やビデオを、旅行が好きだったおじいちゃんに見せることができた。

 

殺風景で無機質なおじいちゃんの部屋を、世界中の写真で埋め尽くしたい、と思っていたし、

 

去年の冬にお医者さんに、もしかしたら君が大学を卒業する頃にはいなくなっちゃうかも、なんて言われてから、

 

本気で慶應で優秀論文を取って、棺桶に入れてあげたいと思っていた。浪人の時、住まさせてもらった時なんて特に、ケンカも意地の張り合いもたくさんしたけれど、でも、家族のみんなが、「アラビア語」なんてと反対した時に、おじいちゃんだけは私の気持ちを知ってから、「がんばれ」と最初から最後まで応援してくれた。大学のお金を出してくれた。

 

「旅をすることはいいことだ、ただし危なすぎるとこには行くなよ」なんて言っていたけれど、ちょっとだけ危なかったところの話をしようとすると、嬉々として聞きたがっていたりした。

 

いつだって、どこでだって背中を押してくれた。

 

もう背中を押されることはなく、自分で押していかないといけないのだなと思う。

 

でも押していける気がする。それは今までおじいちゃんがたくさん応援してくれて、本当にたくさんの、たくさんの愛を降り注いでくれた、こそ思う。

 

おかげで、いろんなことをして、いろんなものを食べて、いろんなものを見て、いろんなものを聞いて、いろんな人に出会って、いろんなものを触って、いろんなことを学べたのだ。自分の背中を自分でも押していけるような自信が、少しづつ育てられた。

 

こうやって、背中を押してくれる人が少なくなっていくことが大人になることなのかもしれない。そして背中を押すことが増えていくのだろうな。

 

本当にありがとう、おじいちゃん。

どうぞ安らかに眠らず、最期行けれなかった行きたかったところにたくさん行ってください、と勝手ながら思う。