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香港、カンボジア、ベトナムからの。

ということで今はカンボジア、シェムリアップというアンコールワットの場所に来ている。

香港を経て、カンボジア・シェムリアップ。
香港でトランジットが6時間あったので、空港を飛び出て街に繰り出してみた。香港は中国ではないな、という印象。台湾と似たような中国との違いがわかる。ただ、香港のほうがインテリというかそんな雰囲気。みんなせっかち。清潔。

シェムリアップ。まず驚いたのは、治安がとても良い、ということ。深夜、午後12時くらいに繁華街、オールドマーケットを女子一人で歩いていても問題ない。観光客がとても多い。シェムリアップ一の繁華街はパブストリートで、そこではほぼオールナイトでクラブやバー、レストラン等がひしめき合いガンガン音楽が鳴っている。その中のレッド・ピアノというバーで、アンジェリーナ・ジョリーが映画撮影時いつもここで飲んでいたというカクテルを飲みながら彼女になりきってみた。

浪人時代に教わっていた河合塾の英語の先生がカンボジアで今学校を建てているので、彼に治安や宿泊先の近辺の情報やカンボジアでの心得、相場、困ったときの連絡先などを聞けた。また河合塾豊田校の新婚ほやほやの某さんの旦那さんはカンボジアに6回くらい来ているらしく、彼からも色々と情報がgetできた。これはありがたかった。

イスラム圏と違うのはやはり風俗街の存在、アルコールの存在、物乞いがいないことだ。今までイスラム圏にいて、酒は大麻より悪だ!と言われいてため、抵抗感が出てしまい、結局カクテルも4分の1も飲まなかった。あと日本人めっちゃ多い。なんでこんなにいるの、という感じ。

アンコールワット。それは突如として現れた。トゥクトゥクでジャングルの中の道を進んでいく中、こんなとこにあんの?突如として道がひらけ、蓮池の奥にソレはあった。あのツボミの部分に登頂しようとワットの中を進んでいったのだが、かなりしんどかった。乾燥帯とは違う暑さのしんどさがある。日陰でも十分ジメジメと暑い。逃げ場がない感じ。個人的にはアラブよりもしんどいと感じた。あと、アラブ圏では基本こういった敷地内も何かしら、らくだやロバなどがいるもんだが、こういう乗りものがいないのびっくり。

今から40年ほど前、ポルポトのクメール・ルージュはここ、アンコールワットに本拠地を置いていた。彼らは共産主義の視点から一切の宗教を禁じ、カンボジアの僧侶もろとも宗教関係者は片っ端から処刑されたが、アンコールワットはそもそも仏教、ヒンドゥー教、双方の色を含むエリアであるのに対し、その場所に本拠地を建てる...というのは違和感しかなかったのだが、行ってみるとまあ、なんとなく意味は理解できるような。なぜなら、「美しい」からだ。

アンコールワット、アンコールトム(ラピュタのあれね)、ベンメリア、他8遺跡とキリング・フィールド(ポルポト関係)をトゥクトゥクのおじさんに交渉してツアーをくんでもらった。最後は遺跡でお腹いっぱいになった。キリングフィールドでは一つの穴から300体ものの首のない遺体が出てきた所もあった。
そのあと一応わたしは女の子なのでクメールエステとクメールマッサージにお金を叩き、プリンセスになった。レベル高かったし4時間でしめて50USドル。顔から足までそしてマッサージまでで4時間3000円とか安すぎ。最高。

メコン川沿いのホステル(一泊600円)を取ったのだが、エジプトやモロッコに比べて宿は...非常にレベルは低い。やはりイスラーム的なおもてなしが見られない。モロッコだったら、ミントティー、エジプトだったら何かしらのフレッシュジュースが宿に着いたら無料で、どんなに安宿でもでてくるはずだ。そしてダニが基本的に多い。乾燥帯はあまり居ないからね。ナイル川、ユーフラテス川、ティグリス川と見てきたが、熱帯のメコン川の雰囲気もまた違う。緑の茂ったジャングルの中の泥色の川も、中々オツなもんだ。

クメール料理は、わたしはあまり好かないかも。エビや魚を発行させた醤油を出汁に使っていたり、レモングラスの風味が結構強いのだが、香りは好きでも、食べ物に入るのは...あとクメール料理はココナッツミルクなど甘味付けが多いのでちょっと苦手かな。ただ、アモックというバナナの葉で包んで雷魚を卵と玉ねぎや昆布で蒸した親子丼の味に似た料理は美味しかった。生春巻きはちょっとタイのものとは違うらしい。(まだ東南アジア料理食べたことがないため違いがわからん)さっきバスストップの近くでタランチュラの唐揚げを食べてみた。美味しかった。怖さを紛らわすため「ふぇええええええええええええ」と言いながら口にいれていたら、ジモティー(地元の人)に笑われた。最後は美味しくてバリバリと食べた。

カンボジアは本当に年寄りがいない。それは、本当に「異様な風景」だった。平均年齢がたしか35歳だった気がするが、本当だ。国全体が、子ども、というか。ただ法律書や医学書、教科書もろとも知識階級をポルポトが葬ったため、国の根幹部分がすっぽりと抜けてしまった。法律に至っては、法典焼き尽くされたと共に弁護士も裁判官ももろとも人っ子1人いないため、ポルポトが陥落した1970年台後半だが、法整備され、民事訴訟法に至ってはやっとのこと2007年に整備され、2011年に施行されたら・法律だけでなく様々な場面において、根幹のモノもヒトもすっぽりと抜けきった状態で国を立て直すのは本当に大変だったのだろうなと、街から、人から、雰囲気から、伝わってくる。国を建てていきたい、というのが伝わってくる。

カンボジアでもムスリム、ムスリマにめっちゃ会った。彼らにクルアーンやアラビア語で色んな話をするとすごく喜ばれる。カンボジアでは8割大乗仏教で、イスラームはかなり少数派。ただ、一般的カンボジア人のイスラームへの印象はすごく悪い。それは日本以上かもしれないことを知った。マレーシア系が多い。

今は陸路でカンボジア・シェムリアップからベトナム・ホーチミンに向かっている。

ベトナムはベトナム戦争で国がとんでもないことになったよな。

カンボジア、ベトナムいずれにせよ、そう考えると、この地帯はたった30年ほど前までは戦争地帯で、こんな風に観光できなかったわけだ。それが今では...と思うと感慨深い。シリアももしかしたら50年後には平和が広がっているかもしれない、という希望を抱かざるを得ない。

(放置)

ちょうどいまカンボジアベトナム国境を越え、ベトナム入りし、ホーチミンシティ(旧サイゴン)についた。都会だという印象だ。驚いた。