ちょっとしたこと

ちょっとしたはなし。

今日は自分の置かれている環境について少し詳しくでもおおまかに知っている範囲で、いま、話してみようと思う。

 

ここ、モロッコは、アフリカ大陸に位置し、中でも北アフリカに位置する。

北アフリカというのは、右から言うと「エジプト、リビア、アルジェリア、モロッコ」の順番で大まかに位置している。

 

モロッコは、南北に長く、人口は日本の福島県ほどであるが、その面積は日本の約1.2倍。

中央部には、アトラス山脈があり、そこを超えると、サハラ砂漠。

したがって、色々な「植生」を見ることが出来ます。

砂と空気しかない砂漠から、緑あふれる街、岩石の街、や港町。

 

北部は、スペインが見えるほど、近い。実際、タンジェという港町からスペインまでは、船で30分ほどで行ける。

植民地支配はフランスだったため、第二言語はフランス語だ。

 

そのため、文化的にも、スペインの文化、サハラの文化、サハラ以南のアフリカの文化、フランス文化、そしてイスラームの文化が入り交じる。

 

そんな場所。

 

このまちで、日本人を見かけたことは未だ、ない。こっちにきて、二週間くらい?がたっているが、完全に見たことない。笑

イタリア人の友達曰く、「だって日本人とかまじエイリアンでしょ!」

 

だまれ(笑) まあ、そうだけど。

 

そんなわけで、わたしみたいな日本人はエイリアンみたいな存在である。というかアジア人自体がエイリアンみたいな存在である。

 

ヨルダンで去年過ごした時は、少し歩けばスーパーがあり、(いわゆるジャスコみたいな)

ちょっと昔の(ダサい)雰囲気で買い物をし、何でも手に入った。

醤油から、みそ、精肉、鮮魚(はきびしくても魚製品)野菜、からトイレットペーパー、洗剤、生理用品、服、くつした、文房具、本、

なんでもそこで手に入る。一軒行ったら事足りる。ということで日本を出る前のわたしは、

「まあ、向こうで日本食が恋しくなっても、お味噌くらい手に入るから、とりあえず、このこだわりの醤油だけ持って行こう~」と思ったのだった。

 

モロッコでは。

ないっす。スーパー、ナイっす。首都だけど、ナイっす笑

4、5軒スーパーが市内にあるだけで、オールドメディナ(旧市街)で、肉は肉屋さん、野菜はやおやさん、果物はそのくだものを売っているところ、魚は港で、トイレットペーパーとかはドゥッカーン(商店)で、というようにそれぞれ買うのが普通。

 

さあ、そんなところで、日本のものは….

 

あるわけないよね~~~~~~w味噌、ないよね~~~~。

 

さあ、みなさんご存知の通り、私は料理が下手の横好きというやつなのですが、

モロッコでも、料理をしようと思ったため、いくつか、日本の調味料も持ってきた!

 

かつおぶし、だし、おしょうゆ、きなこ!

 

これで「日本の味」を作らなくては….(泣)

 

ただ、去年アラブで過ごした時、最後に恋しくなっていたのは、他でもない豚汁とカツ丼だった(ハラームなため食べられない)だったのだが、

今回、ぜんっっっっっぜん恋しくならない(泣)恋しくなっているのは鮮魚….おさしみ。。。。泣ける笑

フリーズドライの豚汁、意味なし。(泣)

 

まあ、そんなこんなであるため、学校でも完全にスーパーエイリアン、である。

99.99999999999999999999%が欧米圏、英語圏、まあ、そんな出身。(ちなみに不思議とロシア人は一人も居ない)

アジア人とか、皆無です。私だけです。笑

去年モロッコに来た時にはそんなの全然「痛感」って感じで感じなかったのにね~(安直すぎる)

(まあ、ていうか当たり前だよね、だって研修旅行で日本人とずっと一緒にいて、日本語勉強しているモロッコ人とばかり会ってたんだもん、そりゃ、「痛感」はしない)

 

学校の先生も、モロッコ人も、スペイン人やフランス人、欧米人の話すアラビア語の「なまり(へたさ)」にはある程度免疫ができている。

だが、私のしゃべるアラビア語の「なまり(へたさ)」には全く慣れていない。だから、いつもよりもずっとずっとずっとずっとずうううううううううううううううっと何も通じない。

あれ、日本でアラブ人と喋っててこんな風に困ったことあんまりないのに….(そりゃそうだ彼らは日本を知っていて、日本語を喋れなかったとしても日本語の「おと」を感じてはいる)

 

学校でみんなが、アラビア語に何かトラブルが出た時に、頭のなかに浮かんでいるのは、「アルファベット」

でもわたしの中に浮かんでいるのは、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」

 

この溝は、どうしても、埋められない(いや別に埋める必要なんてない)

 

だからディスカッションの時とかにみんなが「ううう~~~」と詰まったときに出てくるのは

「アルファベット型」の思考で「アルファベット型」の悩み。

 

その時わたしに浮かんでいるのは、

「日本語型」の思考で「日本語型」の悩み。

 

だから歩み寄るときに、わたしはソレを一回英語にしたり、しなくてはいけない時もある。

この時に、二重に、苦しむ。

 

だって母国語が違えば、言語で困るポイントも違う。たとえ同じタイミングの時であっても、更にそれを英語にトランスレートして考えて、そこからアラビア語にしないといけなくなる。ほんとうに、「てーへん」な作業。頭使う。想像以上に。

 

アラビア語でまじハゲそうになっている状況で、状況を日本語で打開しようとして、だけど、その状況をまわりに同時に英語を使って伝えようとしなくてはならない時がよくある。(あああこのコト説明しようと思うこの今でさえハゲそうまじむり)

 

だからマジで切れそうになる(口悪い)

 

おまえらああああああああああああ この国はアラビア語が第一言語なんだから、イングリシーヤ、ファランシーヤするんじゃねえええええええええええええええええええと。

 

でもこのキレていること自体も、ハゲそうなのも、「てーへん」なのも、アラビア語にしなくては、英語にしなくては伝わらない。

 

もう、それはしょうがない。耐えるしかない。googleなんて頼りにならない。歯を食いしばるしかない。誰かが訳してくれるわけでもない。涙が出てきても、泣いても、悲しみなんて伝わらない。「なみだなんて、くそくらえ。」誰かがいるわけでもない。歯をくいしばって、涙流してでも、ボロボロ涙出てきても、頭を絞って脳みそ絞って、口から「言葉」を絞り出すしかない。だれも助けない。助けられるのも、私だけ。ここにいるのは、「わたし」だけだ。

 

あたりまえだが、

「わたし」が「わたし」を助けるために、「わたし」のことを伝えるのだ。

 

はあ。明日のディスカッションのための準備しよ。

 

今日の結論:

.日本人はスーパーエイリアン、アジア人自体がエイリアン。なので料理の「さしすせそ」くらいは持って行こう。

.歯を食いしばる。がんばる自分。この後はきっと強くなれる。