モロッコ帰って来た〜〜ん
モロッコに帰って来た。
今回くるの大変やった。二回カサブランカ行きがアブダビから遅延と空席なくて乗れなかったから、結局パリに飛んだ。LCCでパリからモロッコに来た。トランジットがパリで7時間あったからちょっと観光。シャンゼリゼと凱旋門に久しぶりに行った。凱旋門のお尻は黒かった。シャンゼリゼの服屋さんで、79ユーロするめっちゃいいニットが、素敵なニットが、12ユーロ。あまり服買うことなかったんだけど、最近ね、でも買っちゃった。ふふ。旅の醍醐味。
電車の中でカヌレを食べた、弾き語りのアコーディオンをBGMにしながら。普通のカヌレがこんなに、おいしいなんて。おパリはおパリだけど、やっぱりふつうにバターと小麦粉、だったり、チーズとバゲットだけでこんなにおいしくなるんだから、すごい。そこは評価するよ。
そういえばアブダビでは、久々にシェイクザイードモスクに行った。ここはやっぱりちょっと観光地って感じだな。サラーはできない感じ(礼拝ってことね)ていうか、サラーしたいから女性用礼拝室どこって聞いたのに、日本人なのにムスリムなわけないだろ的な感じではぐらかされちゃった。くそお。あ、なんでモスクに行こうとしたかっていうと、ちょっと寝たかったから。アブダビはホテル高くって、お金がとてもない。それに、まあ論文書きたかったしで、空港でずっと寝ずに、書いてたの。2回目のれなかった時さすがに寝たくてさ~。だから女性用礼拝室で寝たかったのよん。
あ、そうそう実は女性用って、完全に男性からは遮断、一般からも遮断されているから、知られることないけれど、実は自由な世界が広がっていて、ね。
グースカいびきかいて横になって寝ている人もいるレベルなんだよ、実は。ふふふ。結局空港の礼拝室でグースカねた。神様ごめんね、でも死にそうに大変なの、って思いながら、礼拝用の絨毯ちょっとまくらにして寝た。
いいの、そんなんでって感じだけど、アッラー、神さまそんな多分器ちっちゃくないで大丈夫。疲れてねれなくてお金なくてホテル行けなくて死にそうになっとんのに、そこで雷落とすような器ちっちゃーーーーーーい存在じゃないから、大丈夫、問題ない!笑
そうそう。研究はというと、毎日元気に参与観察中。そういう視点を持って生活を送ってみると、色々みえてくるものがありる。ゴミ箱1つ、道端のチリ一つからみえてくるものも、ある。
そのあたりに暮らしている人の真似をして過ごしている気がする。通勤、通学、朝ごはん調達、商店で新聞を買ったり、オリーブつまませてもらったり、夕方と夜はモスクに行く。毎日旧市街、新市街どちらのスークにも行く。日常品は顔なじみの店で買ったり買わなかったり。限られた日数の中でも、日常生活を真似してみて、言語学の観点からの発見、も大発見の連続だけれど、同時にそこで暮らしている人の価値観の根っこみたいなことにも触れたり、かすったりしている。ああ、幸せだ。
思いっきり、大地を旅行する
スペイン、スイス・オーストリアを越えてドイツ、イタリアから、モロッコに帰ってきた。
モロッコのイミグレーション、ほんとうに適当すぎて(目開いてない時々)ナチュラルに100人に一人は不法出国していそう(帰りはフィレンツェから飛行機)
ゼミの先生がドイツに学会でいらしていると聞いたので、ドイツまでいこうか迷った挙句、やっぱり遠いな…と思いバルセロナ・ミラノ・フィレンツェ、と回る予定でいた。が、バルセロナにいるときに、
研究会の先生よりメールで、
「神のお導きによって、9月7日の正午にミュンヘン中央駅の一番線スターバックスの前に立つことになるでしょう。きっとあなたは救われます。」という謎すぎる神の御告げメールが届き、(しかも後に、「スターバックスは一番線にあらず、11番線也。神も過ちを犯すことあり。」との神のあやまちメールが来る)
二日後の夜、夜行列車にのりミラノからミュンヘンへと、車掌を酒で買収してコンパートメントを一人で占領し、オーストリア人の脂ののった割とイケメンな27歳のその車掌と生ハムをつまみに、ミラノの白ワイン・フルボトルを空けながら向かいました。(ああ、どうかこの邪教徒をどうぞ神様お許しください、)
そういえばバルセロナからミラノ、ミラノからミュンヘンまでバスと夜行列車で行ったが、普通にLCCで行ったほうが安い(80パーセントオフくらい)ということがわかったりしていたが、陸路で行って見るということが、今回は意義があることだと思うんでいいかなと思うことにすることにした。やはり大地のことを知るには、徒歩が一番だと思う。陸路は重要だ。
バルセロナのチョレギサラダ(サグラダファミリア)、良かった。色の入り方が素晴らしい。外から見ると泥の塊みたいであるのに中は別世界というか、現世ではない感じであったのが良かった。地面から生えてきたような「土感」。鍾乳洞の石筍のような感。教会の建物自体が生き物のような感。
カサ・ミラの奇妙な煙突群はトルコのカッパドキアを思い出した。普段博物館とか美術館とかそういうのはたったの5分で見終わる人なのだが(実際ピカソ美術館は10分で見終わった)、ガウディの建築物だけは、まともにガイドを聞いて、まともに見た。
グエル公園やグエル邸、名前ももう忘れてきたけど、結構色々見た。入場料アホ高いがこれは払う価値があると思った。ガウディの建築を見ていて思ったのは、彼は日常を3メートルくらいオモシロク、したかったのだろうなと個人的には思った。
夜にはフラメンコと闘牛を見た。二つに共通していたのは、「魂か命がかかっている」ということだな。フラメンコで特に驚いた点は、あんなにもタップの音が激しいとは思わなかった。すごい迫力だな。あの下に頭を置いたら一発で頭蓋骨が粉々になりそうだ。フラメンコダンサーの情念、源氏物語なら誰に近いのだろう。 情念で惚れた男を踏み殺す・・・ 激しすぎる!
違う夜にはグエル邸の屋上で行われたナイトコンサートに行った。サングリアをたらふく飲みながら聴くスペイン風のジャズもどきもいいもんだ。ハモンセラーノもイベリコ豚の生ハムも毎日4回は食べた。多分一年ぶんの生ハムを食べた。ある朝珍しく髪をといたら、髪の中からハモンセラーノの端くれが絡まって出てきたほどだった。バルセロナでアーモンドやくるみをたまたま買ったら、味気がなく、食えたもんじゃなかった。やはり中東のナッツが一番ですね。ただモロッコはカシュー、アーモンド、くるみは美味だが、ピスタチオはそこまで。やはりイランのピスタチオが最高。イランではルマール、ざくろも非常に味があり美味である。搾りたてのイランのザクロジュースは、喉を通ったその瞬間に、目の奥が痺れるほど味がある。モロッコでも最近になってルマールが出始めた。パコっと開けるとワラワラと出てくる「小さな秋」の到来。あけぼのぐれの風からは秋の匂いがするようになった。
スペインは、太陽のあるところ vs 太陽のないところ(闇 日陰) 、「赤」と「黒」 →「太陽、情熱、血、生きる」と「闇、死」などを意識していると、よく見えてくる気がする。ゴヤもこの点から見ると面白い。ピカソは、思いっきり生きたし、死を描いた。思いっきり死んでいった。スペイン人らしい画家なのかもしれない。
ただ、モロッコからヨーロッパの方に渡るとどんなに気をつけていても、30万倍くらいの速度でお金がなくなっていくので末恐ろしい。
フィレンツェはまあ、フィレンツェであった。回るのめんどくせえとか思って適当に美術館を回っていると「あ、これ教科書で見た!」的なのが出てきてびっくりする。フィレンツェでは文房具屋さんというか紙屋さんに行きまくった。パピロ?というのかなぁ、便箋や封筒、紙を売っているところ。フィレンツェのどんな美術品、工芸品、教会よりも、この、紙の模様に魅了された。た、だ、魅了されすぎて写真を取るのも、物自体を買うのも忘れてしまった。将来の邸宅の書斎の机はフィレンツェのこの紙をモチーフにしようと決めた。ちなみに中庭はモロッコ式、キッチン器具に関しては、調理器具はモロッコとイタリアと日本、皿はモロッコとベトナムとタイ、ランプはトルコ、絨毯はイラン。。。。。と詳細に決まってありつつある。カフェは併設で、メニューも決まりつつある。そのためなのか世界各国でスパイスや調味料を物色してしまう癖がある。
この旅行で、私すげぇな、と思ったポイントは、約9日間の旅程で、ベッドで寝たのが4日しかないという中で、ときには72時間起きっぱなしでも元気に観光していたところだ。
ちなみにバスターミナルや夜間移動の際の治安対策としては、パスポートや大金は全てパンツの前側に入れうつ伏せで寝る、最悪の予備の日本円と100ユーロ札はケツの谷間に入れる(なお胸に谷間はないわけでなく寄せればある)という良策をいつもの通り取っていたので、スリなどにはあわなかった。
「人生一度きり、寝るのは来世で。」をスローガンに進めた今回の旅行は、
ミラノの最後の晩餐よりも、フィレンツェのヴィーナスの誕生よりも、バルセロナのサグラダファミリアよりも、
初のミュンヘンで救い主こと大好きなゼミの先生と大好きなゼミの仲間・マリア様みたいな院の先輩と共に、遠路はるばる「天上天下唯我独尊!」と飲んだ瞬間に叫んだほど美味しいビールと白いソーセージとプレッツェルを囲めたのが、とてもとてもとてもとてもとてもとっても幸せであった。
ちなみに白いソーセージをスーパーで買って持ち帰ろうと思ったら、モロッコで気づいたら発酵していた。思い出はテイクアウェイより脳内イートインだ。
今日のまとめ:
1.地に足をつけておくこと。空をあえて飛ばず、大地を踏みしめる。噛みしめる。
2.夜行列車の車掌は酒次第で買収できる。ただし可愛くな。
3.建物が生き物。うねりと躍動。全力で生き、全力で死ぬ。血と太陽。手をかざせば見えるのは黒ではなく、赤。つまり生だ。
4.フィレンツェの紙。美しさのカタマリ。書斎へGO
5.人生一度きり、寝るのは来世で。©️
6.「天上天下唯我独尊」味のドイツビール。優しさ、それはまるでお母さんのおっぱいのような白いソーセージ。だがそれは脳内イートインでテイクアウェイできない。
砂漠はあけぼの、そしてゆふぐれ。
サハラに来ている。
と言う報告の前に…何万年ぶりの更新やねんと言うツッコミはさておき。
最後の更新から一年もたっていることと、モロッコ日記と題しているのにも関わらず、東南アジアでしかもその東南アジアでの旅の途中でポッと思いつきで書いてそのままになっている自分にとても驚いた。
サハラの砂丘のエリア、ここメルズーガに来るのは二年ぶりだったりする。
夜行バスでフェズから14時間ほどで、ここメルズーガには着いた。
バスの中で、窓を見たら窓いっぱいに、これまで見たことないような量の星が空に散らばっていた。自分の目がもっとよかったらもっともっと星が見えるんだろうなあ。
朝が近づくと真っ平らな何もない地平線の上から、だんだんと景色がほんのりと明るい紫色になっていった。なんだか人間の世界と向こうの世界がぼんやりと見えた気がした。
おじいちゃんの世界に近づいている気がした。
「人間は、日沈むところよりあの世へ旅立ち、死者は、日出るところよりこの世に帰ってくる」とはなんだか聞いたことがあるフレーズだったりするが、
よく考えて見ると、頷ける。
というのも、モロッコはアラビア語で「マグリブ」と言う。マグリブとは、「日の沈む場所」という意味だ。
「黄昏時は、神の世界と現世界の境界、あの世とこの世をつなぐ時間」とは何某映画でも取り上げられた言葉だが、
サハラの夕暮れ時は、人間の世界とそうじゃない世界が入り混じるようであった。
キリキリガンガン照りの太陽が沈む時、空気がガラッと変わる。日が当たっていない砂はびっくりするほど冷たくなっていく。風は冷たくなっていく。砂嵐が舞い、前が見えない。風に乗って運ばれて来た砂は氷の粒のように冷たく、痛い。雷が頻繁に落ち、雨がポツポツと降る。人間が砂丘の向こう側に行くことを何かが拒んでいるようだった。昼間はいなかったサソリが、急に砂の中から出て来る。
サハラの風習にはこんなものがある。
「日没を見に、砂丘まで歩いて行くのはタブーで、必ずラクダを使わなくてはならない。そしてそのまま過ごす時はサソリよけの炎を起こし、犬を放たなければならない。」
おじいちゃんは、きっとモロッコという「日の沈む場所」から旅立ったのかもしれない。
ただどうしても行きたいと言っていたイスタンブールにはその前に寄り道してそうだが。
一ヶ月ほど前、モロッコへ発つ前に、おじいちゃんに会った。
私の顔を見るなりに、うなぎうなぎといい、連れていけないとわかると病室に持って来てほしいと頼んだので、親戚のおじさんと一時間以上かけておじいちゃんのお気に入りの鰻屋さんに行き、特別に持ち帰りをした。わたしは3切れしか食べれず、おじいちゃんは、8、9切れも食べていた。よう食べるもんだとびっくりした。
最後に、美味しいものを一緒に食べれてよかったな。
この前の投稿からの一年、色々なところに行った。
エジプト、アブダビ、カンボジア、ベトナム、ラオス、タイ、香港、トルコ、アブダビ、イラン、トルコ、台湾、モロッコ、アブダビ、フランス、イタリア、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ、トルコ、モロッコ、アルジェリア、西サハラ、そして今また戻ってモロッコ。
少なくともこんなような地域の美味しいチョコレートや写真やビデオを、旅行が好きだったおじいちゃんに見せることができた。
殺風景で無機質なおじいちゃんの部屋を、世界中の写真で埋め尽くしたい、と思っていたし、
去年の冬にお医者さんに、もしかしたら君が大学を卒業する頃にはいなくなっちゃうかも、なんて言われてから、
本気で慶應で優秀論文を取って、棺桶に入れてあげたいと思っていた。浪人の時、住まさせてもらった時なんて特に、ケンカも意地の張り合いもたくさんしたけれど、でも、家族のみんなが、「アラビア語」なんてと反対した時に、おじいちゃんだけは私の気持ちを知ってから、「がんばれ」と最初から最後まで応援してくれた。大学のお金を出してくれた。
「旅をすることはいいことだ、ただし危なすぎるとこには行くなよ」なんて言っていたけれど、ちょっとだけ危なかったところの話をしようとすると、嬉々として聞きたがっていたりした。
いつだって、どこでだって背中を押してくれた。
もう背中を押されることはなく、自分で押していかないといけないのだなと思う。
でも押していける気がする。それは今までおじいちゃんがたくさん応援してくれて、本当にたくさんの、たくさんの愛を降り注いでくれた、こそ思う。
おかげで、いろんなことをして、いろんなものを食べて、いろんなものを見て、いろんなものを聞いて、いろんな人に出会って、いろんなものを触って、いろんなことを学べたのだ。自分の背中を自分でも押していけるような自信が、少しづつ育てられた。
こうやって、背中を押してくれる人が少なくなっていくことが大人になることなのかもしれない。そして背中を押すことが増えていくのだろうな。
本当にありがとう、おじいちゃん。
どうぞ安らかに眠らず、最期行けれなかった行きたかったところにたくさん行ってください、と勝手ながら思う。
香港、カンボジア、ベトナムからの。
ということで今はカンボジア、シェムリアップというアンコールワットの場所に来ている。
香港を経て、カンボジア・シェムリアップ。
香港でトランジットが6時間あったので、空港を飛び出て街に繰り出してみた。香港は中国ではないな、という印象。台湾と似たような中国との違いがわかる。ただ、香港のほうがインテリというかそんな雰囲気。みんなせっかち。清潔。
シェムリアップ。まず驚いたのは、治安がとても良い、ということ。深夜、午後12時くらいに繁華街、オールドマーケットを女子一人で歩いていても問題ない。観光客がとても多い。シェムリアップ一の繁華街はパブストリートで、そこではほぼオールナイトでクラブやバー、レストラン等がひしめき合いガンガン音楽が鳴っている。その中のレッド・ピアノというバーで、アンジェリーナ・ジョリーが映画撮影時いつもここで飲んでいたというカクテルを飲みながら彼女になりきってみた。
浪人時代に教わっていた河合塾の英語の先生がカンボジアで今学校を建てているので、彼に治安や宿泊先の近辺の情報やカンボジアでの心得、相場、困ったときの連絡先などを聞けた。また河合塾豊田校の新婚ほやほやの某さんの旦那さんはカンボジアに6回くらい来ているらしく、彼からも色々と情報がgetできた。これはありがたかった。
イスラム圏と違うのはやはり風俗街の存在、アルコールの存在、物乞いがいないことだ。今までイスラム圏にいて、酒は大麻より悪だ!と言われいてため、抵抗感が出てしまい、結局カクテルも4分の1も飲まなかった。あと日本人めっちゃ多い。なんでこんなにいるの、という感じ。
アンコールワット。それは突如として現れた。トゥクトゥクでジャングルの中の道を進んでいく中、こんなとこにあんの?突如として道がひらけ、蓮池の奥にソレはあった。あのツボミの部分に登頂しようとワットの中を進んでいったのだが、かなりしんどかった。乾燥帯とは違う暑さのしんどさがある。日陰でも十分ジメジメと暑い。逃げ場がない感じ。個人的にはアラブよりもしんどいと感じた。あと、アラブ圏では基本こういった敷地内も何かしら、らくだやロバなどがいるもんだが、こういう乗りものがいないのびっくり。
今から40年ほど前、ポルポトのクメール・ルージュはここ、アンコールワットに本拠地を置いていた。彼らは共産主義の視点から一切の宗教を禁じ、カンボジアの僧侶もろとも宗教関係者は片っ端から処刑されたが、アンコールワットはそもそも仏教、ヒンドゥー教、双方の色を含むエリアであるのに対し、その場所に本拠地を建てる...というのは違和感しかなかったのだが、行ってみるとまあ、なんとなく意味は理解できるような。なぜなら、「美しい」からだ。
アンコールワット、アンコールトム(ラピュタのあれね)、ベンメリア、他8遺跡とキリング・フィールド(ポルポト関係)をトゥクトゥクのおじさんに交渉してツアーをくんでもらった。最後は遺跡でお腹いっぱいになった。キリングフィールドでは一つの穴から300体ものの首のない遺体が出てきた所もあった。
そのあと一応わたしは女の子なのでクメールエステとクメールマッサージにお金を叩き、プリンセスになった。レベル高かったし4時間でしめて50USドル。顔から足までそしてマッサージまでで4時間3000円とか安すぎ。最高。
メコン川沿いのホステル(一泊600円)を取ったのだが、エジプトやモロッコに比べて宿は...非常にレベルは低い。やはりイスラーム的なおもてなしが見られない。モロッコだったら、ミントティー、エジプトだったら何かしらのフレッシュジュースが宿に着いたら無料で、どんなに安宿でもでてくるはずだ。そしてダニが基本的に多い。乾燥帯はあまり居ないからね。ナイル川、ユーフラテス川、ティグリス川と見てきたが、熱帯のメコン川の雰囲気もまた違う。緑の茂ったジャングルの中の泥色の川も、中々オツなもんだ。
クメール料理は、わたしはあまり好かないかも。エビや魚を発行させた醤油を出汁に使っていたり、レモングラスの風味が結構強いのだが、香りは好きでも、食べ物に入るのは...あとクメール料理はココナッツミルクなど甘味付けが多いのでちょっと苦手かな。ただ、アモックというバナナの葉で包んで雷魚を卵と玉ねぎや昆布で蒸した親子丼の味に似た料理は美味しかった。生春巻きはちょっとタイのものとは違うらしい。(まだ東南アジア料理食べたことがないため違いがわからん)さっきバスストップの近くでタランチュラの唐揚げを食べてみた。美味しかった。怖さを紛らわすため「ふぇええええええええええええ」と言いながら口にいれていたら、ジモティー(地元の人)に笑われた。最後は美味しくてバリバリと食べた。
カンボジアは本当に年寄りがいない。それは、本当に「異様な風景」だった。平均年齢がたしか35歳だった気がするが、本当だ。国全体が、子ども、というか。ただ法律書や医学書、教科書もろとも知識階級をポルポトが葬ったため、国の根幹部分がすっぽりと抜けてしまった。法律に至っては、法典焼き尽くされたと共に弁護士も裁判官ももろとも人っ子1人いないため、ポルポトが陥落した1970年台後半だが、法整備され、民事訴訟法に至ってはやっとのこと2007年に整備され、2011年に施行されたら・法律だけでなく様々な場面において、根幹のモノもヒトもすっぽりと抜けきった状態で国を立て直すのは本当に大変だったのだろうなと、街から、人から、雰囲気から、伝わってくる。国を建てていきたい、というのが伝わってくる。
カンボジアでもムスリム、ムスリマにめっちゃ会った。彼らにクルアーンやアラビア語で色んな話をするとすごく喜ばれる。カンボジアでは8割大乗仏教で、イスラームはかなり少数派。ただ、一般的カンボジア人のイスラームへの印象はすごく悪い。それは日本以上かもしれないことを知った。マレーシア系が多い。
今は陸路でカンボジア・シェムリアップからベトナム・ホーチミンに向かっている。
ベトナムはベトナム戦争で国がとんでもないことになったよな。
カンボジア、ベトナムいずれにせよ、そう考えると、この地帯はたった30年ほど前までは戦争地帯で、こんな風に観光できなかったわけだ。それが今では...と思うと感慨深い。シリアももしかしたら50年後には平和が広がっているかもしれない、という希望を抱かざるを得ない。
(放置)
ちょうどいまカンボジアベトナム国境を越え、ベトナム入りし、ホーチミンシティ(旧サイゴン)についた。都会だという印象だ。驚いた。
日本に帰ってきたけど
日本に帰ってきたけれど、ひょんなことから今は東南アジアににいます。
男の人と女の人
イスラームと男の人と女の人。
アラブ、というかイスラーム世界の男女の服装や、行動には、日本とはかなり異なったものがあります。
まあ、そりゃあ想像はできるデショ?というか多分イスラーム世界の服装といったら目まで覆い隠している真っ黒な女の人が歩いてる、みたいな印象があるのかしら。
まあ、それも間違った印象ではないんだけれど、同じ、イスラーム世界の女の人、とはいっても、そのファッションはだいぶ、国によって異なります。
UAE(アブダビやドバイ)、オマーンやカタール、サウジなどの湾岸諸国ではその黒いアバヤとヒジャーブ(黒い服とスカーフのことね)が普通。変わってインドネシアではカラフル。本当にカラフル。全身、水色にピンクに黄色、当たり前。ヨルダンではみんなスカーフをつけているものの、服装は結構普通(といっても長袖長ズボンか足首までのワンピースね。)そしてモロッコでは、スカーフをつけていない女の人も結構いる。ていうかヨーロッパの観光客とかはノースリーブにショートパンツも普通にいる。(ただこの格好はこの国、イスラームの国においてかなり男性をソソる格好である。)まあさらっと書いたけど、アバヤ、ニカブ、ブルカ、チャドル、色んな名称があります。
基本的に、女性は鎖骨から手首、足首まで隠す格好が普通。というかねえ、あの、個人的に思うのは、こんな太陽の下で肌を出すのはアフォだと思う。少なくとも、わたしは日光浴びすぎるとか痒いし痛いしじんましんが出るから露出はしない。(ていうかイスラーム世界に来ていて、イスラームに則った統治をしているのに、それを無視して肌を露出して歩いている欧米の女性を見るとなんだかな、って思うわ。これでレイプされても文句言えないと思うし、そもそも、訪問先の国の文化をレイプしているに近い行動だな、と個人的には思う。)
したがって、アラブ人の男の人にとって、女性のそういった足首手首鎖骨以上の部分が見えるのはかなり「そそる」格好なわけです。
日本では、結婚するときの話でよくありがち(?)の
「君のお味噌汁が毎日飲みたいな」は
イスラーム世界では
「君のヒジャーブ(スカーフ)の中が見たいな」
だそうです。
ちなみに今日ごはんを食べていたら、スカーフと顔の間にスマホをはさんで会話している人がいました。なるほど、両手が空いて便利ですね。
あと、なんでも、「右」です。
水を飲むのも、食べる時も、お皿の中のごはんも、握手も、おつりを渡すのも、ドアに入るのも、席に座るのも、「右」手、「右」側です。
よくやりがちなわたしの失敗なのですが、図書館やカフェ、レストランでつい、何も考えず自分から見て左側に座ってしまうこと。
そうすると、こちらのひとは全員右側に座るわけなので、同じ場所にいる自分以外のすべての人が自分と向かい合わせになるわけなので、とても恥ずかしい思いをします。
というふうに、生活に宗教が溶け込んでいるわけです。
もとい。宗教の中に、生活がとけこんでいるわけです。
このブログを読んでいる人で、気にしている人がいるでしょう。
「留学するとさ、現地の男の子と…ア~~レ~~なことにならないの?」
「ア~レ~にはならなくても、こう、ちょっと…みたいなことないの」
まあ、よくある話ですね。
わたしの学んだ話をするとです。アラブの男の人はめっっっっっっっっっっっっっちゃナンパします。
というかソレはわたしがカワイイからではなく、日本人だからです。(と思ったのだが体調が優れないある日スッピンで能面しらすみたいな顔でぶすっとして髪の毛ボサボサで歩いていたら何にも言われなかったのである程度顔のランクはあると思う)
例えばタクシー。8割くらい既婚かどうか、6割くらいは番号聞かれます。そういう場合いつも、結婚はしていないんだけど、親密にしている男性がいて、その人とインシャアッラー日本に帰ったらその月に結婚するから、近く結婚予定だとか、番号持ってないだとかハッタリをわたしはかまします。中にはそれでも番号をしつこく言ってくるひとがいるので、そういう人には「あなたの番号を教えて~」と言って、後で連絡するね、と言い、相手を気分よくさせサヨナラします。番号を書いてもらった紙は排水口に捨てます。
あと道を歩けば、「キャムキャム!」(いくらいくら)とか、「シュウェシュウェシュウェ」とか言われます。この「シュウェシュウェシュウェ」とは、モロッコでの猫への声のかけ方です。(日本で猫に「みゃーみゃー」と声かけるのと一緒)だから「シュウェシュウェシュウェ」と言われたとしても、間違っても、「ミャア~~~」なんてサービス精神旺盛に対応してはいけません。無視です。
ごめんなさい。ちょっとぶっこんだ話をしますが、わたちはこちらの具体的な貞操観念にちょっとカルチャーショックを受けまちた。
もちろん、日本や、ヨーロッパのソレよりもかなりおカタイものであるのは知ってはいたのだが。
モロッコでは、結婚の際に、男性が女性が処女であるか、医者を使ってしらべるそう。それが普通(ここに驚いた。普通…って…)めっちゃびっくりして、医者!?なんで!と聞いたら、「じゃあ、どうやって女性が処女であるか信じるのか」とのこと。(う~~ん….そうだけど…)
そして初夜には、コトを行った末に、シーツについた血を親戚のおばさんからお母さん、色んな人に見せるのが風習。
処女でしたよ、っていうことを証明するのだ。それがついてなかったら、結婚は破談、がほとんど。(プライバシーもへったくれもない...)
「….ねえでもさあ。モロッコも世俗化して、結婚前なのに、しちゃいました。っていうカップルはいないの??」
そう、そういうカップルもあるみたいで、そういう人たちは、シーツにヤギの血をつけるらしい。(まじかよ狩るの?)
ちなみにいまでもモロッコでも、結婚式では白いドレスで式に赴く。そしてその白いドレスをシーツとして使って、初夜を迎える。処女だよ、ということでそのドレスに血をつけさせるのね。結婚式2日目はその血のついたドレスを結婚式に来た人たちに見せて「処女でした!!!」と報告する。
何よりも、この話を、「友達」がしたことにびっくりしたのよね。本やネットで知るんじゃなくて、「当たり前、何がおかしいねん」というように、モロッコ人の友達が話しているのに、ぽけ〜〜〜っとしてしまった。
まあ、文化の違いだからね、あれなんだよね。
とそんなとこ。
まっさら~~~ま
今日の結論
1.肌を隠すのは要するに砂漠の知恵。日光半端ないからね。日焼け対策。
2.モロッコで歩いていてシュウェシュウェって声をかけられても、無視です。あなたは猫ではありません。
3.貞操観念にびっくりんこ。文化の違いってすごいね。
日本大使とマラケシュ。
今回のリュック一つ持っての週末トリップ。マラケシュに来ております。
その前に週末前の金曜、ちょっとうれしい出会いがありました。
というのも、今週から学校に大量の日本人(12人)が来ている!
ある日、学校にいったら、ルーマニア人のヌハイラとパキスタン人のサーミハが。
「ねえ。ちょっと!みた??日本人がたっくさんきてんだけど!!ここは東京かと思ったわ!」
…はあ??中国人じゃないの?意味ワカなんないんだけど???
と思ったら、本当に居た!!!うお~~~なんだこれ~~~
さっそく日本人のうちの一人に、聞いてみたら。
「ああ、いま大学の研修でここに来ているんです。」とのこと。おお~~!
ということで彼らの教授にもご挨拶。いや~~日本語話すの苦手だわ~~緊張するわ~~笑
ということで少したった後。
「まなみさん、よかったら、金曜に日本大使館で専門調査員をしている方の、研究結果の発表とディスカッションが少しあるんだけど、よかったら、どうぞ。慶應出身の方ですよ」とのこと!
おおお~~~!なんてお優しいんだ~~~ということで便乗して行ってきた!
主に講演の内容はモロッコ経済について。とてもおもしろい話が聞けた!いや~~よかった!
内容については、モロッコ・日本双方の機密もあるので、割愛ということで。
そして大使と調査員のお二人とお食事に!これも、ためになる話がたくさん聞けた!良かった~~
来週から、アミナちゃんも日本大使館での仕事が始まるし、よろしく、というのも伝えておいた!笑
ということでマラケシュ。
マラケシュはモロッコ1の観光地。色々な映画も撮影されている。
例えば、SEX AND THE CITYの映画も、マラケシュで撮影されている。
…「え、あれってアブダビじゃないの?」
そう思った方々。そうです。映画の舞台の設定はアブダビなんですけど、
実際の撮影は、モロッコです。どうやら、最初アブダビで撮影のため、交渉をしようと思っていたら、
映画の内容、というか題名もろとも、アブダビ政府からNGが出ました。
まあ、そりゃそうだ。
この事実を知ったのは、実は今年の3月でした。
あらためてSEX AND THE CITY2を見て、
「ああ、この映画見て、アラブ世界ってかっこいい、中東ってどんな感じなんだろう…とあこがれを持ったっけ… 」としみじみしながらオープング。
「ていうかこんな格好でUAE歩きまわるなんて、ホテル内とはいえ、よくアブダビ政府許可したな…」なんて思い始めていた頃。
主人公キャリーがホテルのバルコニーから見ているシーン。
…あれ、赤くね?この街見覚えあるぞ。。。
スークで買い物のシーン。
…あれ、なんでアブダビなのにバブーシュ売っているんだ…ていうか通行人がなんか、サハラっぽい人いるよなあ….
エンドロール。
…撮影場所、モロッコ。
ああ、マジかあ。みたいな。
近くの街のワルザザードでは、このまえ映画でトム・クルーズがBMWを爆走させていました。あと007も来ていたね^^
モロッコ政府はモロッコを中東のハリウッドにしたいらしい。(事実です。王様がこの前言ってた。)
マラケシュといえば、ジャマ・エル・フナ広場とスーク、とマジョレル庭園。マジョレルはイブサンローランが好んだ庭園で、死後、ここに遺灰がまかれました。
今回のリヤド。一泊1200円。
「おい 大丈夫か」
…大丈夫です^^普通にフカフカのベッド、ふかふかの朝食!
マラケシュは、暑い….マジ無理ゲー…最近までラバトの気候に慣れきっていた私は完全にノックアウト寸前。
なんと最近のラバトは毎日のように雨。そして寒い。毎日25度くらいまでしか気温が上がらない。
マラケシュは..11時で42度。
まじかよ…この暑さでスーク巡りは無理だわ…ということで、ハマムに行ってきた!
ハマム、とは…垢すりとモロッコ式サウナとお風呂。身も心もつっるつる~~になって、るんるんで外に出て、
15時。まだ暑い。太陽グラグラ(キラキラでもサンサンでもギラギラでもありません。そんな表現じゃ収まらねえ)
ということでリヤドでクーラーガンガンにしてオネムの時間。
起き上がって18時。だいぶ涼しくなってきた…ということでフナー広場と屋台とスークに行ってみよう!
屋台は150以上の出店。毎日お祭り騒ぎ。あるけど1mごとに話しかけられ…というか店員に群がられ、時には腕まで掴まれる。どこで覚えてきたのかよくわからない日本語の単語を浴びせられ、無視すれば、バカやアホなど罵声を浴びせられる。
おつりをごまかされるのは当たり前。むしろボッタクリが当たり前。
というマラケシュですが、屋台メシ、おいしいところはおいしい。
おすすめは14番屋台。イカリングとイサキのフライのお店。ほんとうにおいしい。ほかの屋台は勧めません。笑
あとなめくじたべた。かたつむりだけど。スパイスが効いてた。かたつむりの目、と目があって、つらかった。
あんまり好きじゃなかった。
マラケシュ、エネルギーがありすぎて、疲れちゃった感じ。ふう。ちょっと行き先間違えたかも。笑
そして帰りの電車。5時間かけてまたラバトへ…これが大変だった。なんとプレミアクラスが取れず、二号車で…
二号車…クーラーなし….今日の気温は43度…車内はコミコミ…
かなり悲惨だった(泣)なんで電車に載っているだけで服から絞れるほど汗が出るんだ….
もっと早く電車のチケット取ればよかた。マラケシュをなめていた。
とぐったりつかれた週末でした。ちゃんちゃん。でもハマムは良かったし、イサキのからあげはおいしかったからよかったとしよう。
一日ひとつでも良いことがあったら、他にどんなに悪いことがいくつもあったとしても、それで、いいことにしてる。
そうじゃないとやってられないもん。
でも、多分それはモロッコにいるときだけのことじゃないんだろうな、と思う。どこにいても、一緒。
「そんなの自分に甘すぎるだろ」
という声が聞こえてきそうだけど、でもそれでいいんだよ。じゃあ、その甘い、甘くないの基準はどこなの?
多分そんなの人によって違う。神様しかわからないじゃないのよ。
それだったら簡単に、「自分に甘い、」とか責めないであげて~って思う。
人ってそんなに強くないんだよ。強く見せてるだけがほとんどなんだから。
そういうあなただって、強く見せているだけなのに、人にも強く見せていることを強要してはいけない、のよ。って思う。
(でも、こう、自分ががんばっているときに、一生懸命になっているときに、なめくじみたいにだらだら生活していたり、
ずるずるコアラみたいに生活していたり仕事してたりする人見ると、いらいらしちゃうんだよな~しかもその逆もしかり。じぶんがナメクジの時にとなりに働き蜂がいるとまじなんかおちつかないなんと自分勝手なこった)
では、マアッサラーマ!
今日の結論:
1.都市を移動すると、急な気候の変動がモロッコでは起こりえます。結構体に来るので、気をつけましょう。
2.かたつむりというか、ナメクジはおいしくないです。屋台なら14番屋台に行きましょう!とってもおいしい!!!
3.絶対にプレミアムクラスをとりましょう。
4.一日一つでも良いことアレば、その一日は良しとしよう。